咸臨丸(長崎)

■説明など
 復元帆船の"咸臨丸"(総トン数:539トン、旅客定員:平水200名/沿海35名)です。
 オリジナルの"咸臨丸"は、幕府がオランダに発注したもので、1857年に就役しています。当初は"Japan"なる船名で、長崎回航後に"咸臨丸"と命名されています。"観光丸"と異なり、スクリューを有した木造三檣蒸気軍艦でした。1860年に、日米通商条約批准交換の為の使節に随伴してサンフランシスコへの遠洋航海を行ったことはよく知られています。その後、様々な変転を経ますが、1871年に北海道近海にて座礁・沈没してその生涯を終えています。
 復元船の"咸臨丸"は1990年にオランダにて竣工、オランダ村やハウステンボスにて使用された他、国内各地での体験クルーズやチャータークルーズ等に従事しました。2001年からハウステンボスに係留されていましたが、2003年11月にハウステンボスがリース契約を解除、船主の興銀リースよりマレーシアに売却されています。
 私が2003年7月にハウステンボスを訪れた際は、同じく復元帆船の"観光丸"と並んで係留されていました。よもや数ヶ月後に姿を消すことになるとは思っても見ませんでした。
(2003/12/28)
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ハウステンボスのスパーケンブルグ地区にある桟橋に係留されている"咸臨丸"。
左舷前方より撮影。オリジナルが全長49.7メートルであったのに対して、こちらは65.8メートルと、やや大きめになっています。撮影時には、大きさの違いについてはわかりませんでしたが、甲板室が立派すぎる点についてはやや気になってしまいました。

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